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魂が呼ばれるタイミングで、呼ばれる場所へ行くことの意味

更新日:2022年3月19日


↑写真は宿泊先のホテルの窓から撮影。早朝に現れたダブルレインボーです。ダブルレインボーのスピリチュアルメッセージは「完成」、「次のステージへの移行」、「祝福」、「見えないレベルからのサポート」です。



 今回私のためだけののヒーリングリトリートを開催して来ました。「魂が呼ばれる旅」です。行き先は広島。ナビゲーターは私、クライアントも私。


 私は時々、自分のためのリトリートを開催しています。ただ流れる時間を過ごす旅ではなく、深い気づきを得られる体験を求める旅です。私はそういった旅が好きです。

 



魂が呼ばれる場所とは

↑写真は原爆を生き残った柿の木



 強く行きたいと思う場所は、その時に自分より大きな力によって「呼ばれて」いることがあります。これは自分の魂がその土地に呼ばれていると言うことです。


 なぜ呼ばれるのでしょうか?その理由は人それぞれであり、また同じ場所でもその時々によって違ってくるでしょう。

 内側からの強い「呼びかけ」は、魂がその時期にその場所へ導かれていることを示します。なぜなら生まれる前にそのタイミングで、その場所へと行くことを決めて来たからです。

 その内側からの強い呼びかけに答えることで、より高いレベルへのステージへとシフトします。「呼ばれる」時は人生のステージシフトであることが多いのです。そして、あなたの魂が生まれて来た本当の目的へと導かれ、日常生活もそれに沿って行くのです。本当にやるべきことを行う人生へと流れがシフトするのです。


 人は現実世界にどっぷり浸かってしまうと、生まれてきた目的や、魂が本来すべきことからどんどん外れて行くものです。そういった状態もハイアーセルフ(自分自身のより高い意識の領域)やガイド(守護霊、指導霊など)は分かっていますから、時々メッセージや呼びかけをくれるのです。


 魂が根底から癒やされるには、「呼ばれる場所」へ「呼ばれるタイミング」で行くことが大切です。「呼ばれる場所」を知りたければ、静かに座って心の声、身体の声に耳を傾けましょう。


 理由は分からないけれども、なんだかその場所に惹かれる!そんな感覚のする場所です。「ここかな?」と少々不安になっても、旅の準備を始めてみましょう。導かれていればハイアーセルフやガイドがメッセージを送ってきたり、シンクロやサインを発見するでしょう。



幼少期より導かれる広島と原爆記念公園

↑写真は被爆して生き残ったクロガネモチの木


 小学校の修学旅行は原爆記念公園と宮島でした。それから中学生の3年間は原爆記念日の記念式典に毎年出席していました。なぜなら、親が通っていたカトリック教会が、毎年原爆記念日に「広島巡礼」を開催していたからです。また、母方の実家が広島に近い島根県にあり、乗り継ぎなどで広島駅を経由することが何度もありました。


 本格的に広島へと導かれるようになったのは、スピリチュアルカウンセラーとして活動をし始めてからです。宮島での個人セッションを機に、私の活動をサポートして下さる方とのご縁が繋がり、定期的に広島市内でセッションを開催させて頂くようになりました。そのご縁から、広島市内で音楽家の方とコラボでワークショップを開いたり、単独で宮島でのワークショップ主催したことがあります。

 その後は広島へのご縁は自然と無くなってしまったのですが、再び頻繁に訪れるようになったのは2017年ごろからです。私にとって広島は特別な土地だと感じていました。第二の故郷のような、迎えられているような、癒される土地です。


 なぜそんなに心が癒されるような感覚を持つのか?また、なぜ頻繁に広島へと導かれるのか?それついては深く考えたことはありませんでした。ただ魂の声を聞き、導きに従って来ただけなのです。しかし、ついにその理由を2020年夏に思い出すこととなります。その内容は衝撃的でした。



深い記憶を呼び覚ますための長年の準備

↑写真は沢山の方々が救護を求めて集まった御幸橋



 スピリチュアルカウンセラーとして仕事をしている私は、自分自身の為にコーチング、セラピー、カウンセリングを定期的に受けています。その中の一つにホメオパシーがあります。

 ホメオパシー健康相談を受ける中で、私の治療として処方された一つのレメディがありました。そのレメディは私のその時点での問題に対して処方されたものでした。決して前世の記憶を思い出すために処方されたのではありません。けれどもそのレメディは私の魂に響いたのです。その結果、広島で被爆した記憶を呼び覚ましたのでした。

 原爆や戦争、悲惨な状況で亡くなる時には、魂がとても傷つきます。ですから通常はそれらの記憶を呼び覚まして癒すには、専門家のセラピーとセットで癒していくことが望ましいです。

 ただ、私の場合はその記憶にアクセスすることすら考えていなかったのに、突然やって来たのでした。突然やって来るものを受け入れられる時は、心に準備ができた時です。また同時に周囲に手助けのある時です。


 私の場合は、自分自身がコーチングの訓練を積んだスピリチュアルカウンセラーでもあります。また、専属のホメオパスの先生がいます。その他にはセラピストやメンターがいてくださります。その方々の手助けを借りながら、セッションを定期的に受けていることでの深いサポートがあります。

 ですから突然記憶が蘇った様に見えますが、本当は自分と周囲に準備が整ったので記憶が蘇ったのだと思います。また長年継続している自分と向き合うことへの積み重ねやセルフケアの取り組みは、これを受け入れるための準備だったとも言えるでしょう。

 魂は生まれ変わる時に、人生のシナリオを用意しています。どんな風に生まれ、どんな人生を送り、どんな風に旅立つのか?それは人生が展開される中で少し変更があることもありますが、おおよそは決めており、それを生まれる前に選んでいます。

 私はどうして直近の過去生で原爆で亡くなることを決めていたのか?と問いかけました。するとすぐに「次の転生で泉 雪恵として生まれ変わるため」と言う解答がやって来ました。

 私のハイアーセルフやガイド達は、私がこの人生でスピリチュアルカウンセラーとして様々な活動をし、セッションや著書を通して多くの方々の手助けをするために、長い長い間準備をして来たと言います。



引き寄せた情報と蘇る記憶

↑写真は原爆で被爆して生き残った柿の木、現在も実をつけています。


 自分が広島にいた頃の過去生を思い出し始めると、次々にそれに関する情報が集まってきました。写真、名前、住所、家族構成などの情報にも辿り着きました。

 もちろん、それが私であった証明はできません。またそれは証明する必要はないと感じています。なぜならこのスピリチュアルな探究の旅は、自分の為のものだからです。私が自分の魂を癒す為に行うこと。自分の心に平安が生まれれば、それが魂の望んでいるのことなのです。ですから世の中に証明する必要はないと思っています。

 記憶を辿ると、家族の様子が蘇って来ました。母親は明るくよく笑う人だったこと。「○○じゃけん、アハハハハ!」と家には母の明るい笑い声が響いていました。父はおしゃれでカメラや外国のものが好きでした。ですから家にはヨーロッパや中国の変わった小物などがありました。覚えているのは大理石の台に足がついた座卓です。中国風だったのを覚えています。

 その頃の私は、従姉妹のお姉ちゃんに貰ったカラフルなセルロイドの小箱を大切にしていました。その中に拾ったもの、貝殻、ガラスのかけらや大切なものを入れていました。

 戦時中でしたが、ひもじい思いをしたことがなく、いつもお腹いっぱいご飯を食べることができていました。家が商売をしていたので、お客さんが珍しいものやお菓子を持ってきてくれたこと。その中でもキャラメルが好きだったこと。


 近くに教会があり、ヨーロッパから来た白人の神父様がいたこと。商店街にヨーロッパ系の白人が住んでいて、自分も家族も近所の人もその人たちのことを「外人さん」と言っていたこと。そんな記憶が甦って来ました。


 原爆で亡くなった時の記憶もあります。私は外にいて吹き飛ばされました。その時に後頭部を強打したこと。体の前面にひどい火傷を負ったこと。髪が炭化したこと。大火傷で腕の皮膚の色が赤黒く変色していたこと。細かい粒子が目に入り、目が開けられなかったこと。全身が痛く、特に唇がヒリヒリしていたこと。


 原子爆弾が爆発した後は地上に熱があって、周囲も火事になっていました。まるで高温サウナの中にいるようで息が苦しかったこと。鼻から息ができなかったこと、喉の粘膜や鼻の粘膜が焼けて喉が苦しかったこと。黒い雨が降ってきて、それが熱く、ぬるぬるしていたこと。


 私は被爆した場所で動けなかったのですが、きょうだいが助けに来てくれて、救護所まで運んでくれました。その後、救護所で動けなくなっていると「こっちこっち」と声がするのでその方向へ行きました。そして川に入って亡くなったのです。




未来の私が過去の私を天国へ送り出した日

↑写真は原爆ドームの前で小雨の中雨宿りをする猫さん。通り過ぎようとした私に「ここでも祈りを捧げてください。」と言いました。神戸でお留守番中のルイ君が宿ったような顔に見えるのは私だけでしょうか?


 広島へ行く前日に過去生の自分の写真を眺めていたら、ふっと全てが理解できました。それは現代に生まれた私に準備が整った時、過去の時空間に閉じ込められている自分の魂を迎えに行くのだと言うこと。  原爆で亡くなった時の記憶ですが、私は死の直前に「こっちこっち」と声が聞こえました。すると光に包まれた人が私を迎えに来てくれたのです。私を迎えに来てくれた人は女性でした。過去生の私にはその人が誰なのかは分からなかったのですが、その人が来てくれてとても安心した記憶があります。すると自分の魂が体からするっと抜けたのです。それと同時に身体が楽になり、痛みや苦しさは消えました。

 次にその人が家に連れて行ってくれると言ったので一緒について行きました。家は家事で焼けたのですが、両親はそこにはいませんでした。その女性は「お父ちゃんとお母ちゃんには迎えが行っているから大丈夫。」と言いました。

 家事で焼けた家には、ほかのきょうだいと、飼っていた動物たちの魂が迎えを待っていました。そして私たちは安らかな虹色の眩しい光の玉に包まれました。その光の球は私達を向こうの世界へと連れて行ってくれたのです。


 この記憶は原爆の過去生を思い出した時に蘇った記憶ですが、光に包まれた人が誰であるのかは気にしていませんでした。自分のガイドだろう、もしくはあの世へ導く役割の存在だろう。そう思っていたのです。

 しかし、その光に包まれた人は未来の自分だったのです。次の人生に生まれ変わり、2021年に被爆した自分を迎えに行ったことを悟りました。過去と未来は同じ地点にあります。ですからそのようなことが可能なのです。


 今生きている自分が「呼ばれたタイミング」で広島へ行くことで、普段開かない扉が開かれました。その扉は、時空間を超えて1945年8月6日の原爆投下から数時間後に亡くなった自分の魂が囚われている場所へ今の自分を連れて行き、魂の救出作業を行うことを可能にしたのです。

 そして、その時空間に閉じ込められた自分の全てのエネルギーを解放し、安全に天国へ送る作業を生まれる前から計画していたのでした。  ですから今回の2泊3日の旅はどうしても行かなければならない、自分のスピリットのための鎮魂の旅なのでした。


シンクロと導きのスピリチュアルジャーニー

↑ホテルのクラブラウンジで提供してくださったアフタヌーンティのスイーツの上にチョコレートで出来た黄色いてんとう虫さんが乗っていました。黄色いてんとう虫は金運アップや豊かさのステージが上昇するときに現れます。

 シンクロや強い導きは、旅の前から始まっていました。けれども私は直前まで広島へ行くことを迷っていました。自分の要求を叶えることを躊躇していたのです。それはもっと上のステージへと行く前に、古い自分へと引き戻そうとするものでした。広島へ行く当日はいくつかのシンクロがありましたので、リストにしてみました。


  1. 接触事故で電車が止まり、午前中の予定が大幅に変わったために早く広島へ行けたこと。

  2. ホテルへ向かうタクシーがいつもとは違う道を通り、それによって過去生で住んでいた家の近くと小学校の前を通ったこと。

  3. ホテルのお部屋が30平米から50平米にアップグレードされたこと。それによって虹と宮島が見えたこと。

  4. 二日目の早朝に虹の柱が立ったこと

  5. 三日目の早朝に30分間ダブルレインボーが現れたこと

  6. 「亡くなった場所には白い花」と言う事前のメッセージを受けていたが、現地には大きな木に沢山の白い花が咲いていたこと


↑早朝30分間だけ現れたダブルレインボーをホテルのお部屋から撮影しました。



残されていた意外な思い

↑写真は二日目の早朝に現れた虹の柱

 滞在は2日目は、自分自身が亡くなった場所へ行き、どういった道をたどったのか?そして最後は どの場所へ行ったのか?それを探しながら過去生の自分の魂のエネルギー的な解放の儀式を行いました。

 そこへは白い花を持って行かなければならないと直感的に感じていました。けれども思ったような白い花が売っていなかったので、黄色い薔薇を持って行きました。  

 その場所を訪れると、大きな木に白い花がいっぱい咲いていました。まるで、「ここだよ。」と言ってくれている感じがしたのです。


 自分の為の供養と鎮魂の儀式が終わり、ホテルに戻った私は、ふと過去生の自分の写真を見つめました。最後にどういう思いだったのだろう?


 その気持ちに焦点を合わせると、涙が溢れてきました。その気持ちは「無念」と「怒り」です。一瞬にしてすべてを奪ってしまったものに対しての無念と怒りです。すべてが奪われた後は、もうもとには戻らないことが分かっていました。


 親や学校の友達、親切だった近所の方々、先生や同級生達も亡くなり、悲しみもありました。しかし私の前世の魂を地上に縛り付けていた思いは、無念と怒りの感情だったのです。


 また、この思いを誰にも聞いてもらえずにいたことを知りました。そしてそれを知って涙を流すと、過去生の私の魂は全て浄化されました。




この旅で得られたこと

↑御幸橋の下を流れる京橋川。穏やかな川の流れです。

 今回の旅で得られた一番大きなことは、「心の安らぎ」です。見えない部分の解決が、こんなにも心のやすらぎをもたらすとは思っていませんでした。


 仕事のこと、経済的なことについても、豊かさが巡っていることへの実感を得ることができました。すべてのことが自分のために用意されていて、本当にありがたいと感謝の思いが湧いて来ます。今、ここにフォーカスをすることが容易になり、せかせかすることを手放し、本来の自分が望むペースへと変容しています。


 また、これから先に私は何をやっていくのか?私が本当に望んでいることは何であるのか?それらのビジョンとインスピレーションを得ることができました。過去に囚われているエネルギーが、現在の私を引っ張らなくなったために、前に進みやすくなったのでしょう。


 この旅を決断したこと、実行したことで、旅の前よりも自分への信頼が増しました。永遠の宇宙に生かされている実感、確信を得ています。また、決断して実行することで現実が変わっていくことを実感しました。完全に意識のシフトです。この旅を始める前の私と終わった後の私はステージが違うと感じています。

時空間に囚われている魂を永遠の源、創造主へ帰すこと

 

 先祖や過去生の自分のエネルギーがある場所に留まっている場合は、その場所で留まっているエネルギーを浄化することで魂の癒しが起こります。そこに留まっている方のエネルギーを浄化し、魂が帰るべきところへ帰るための道を作り、安全に送り出す作業を行うことを地上の私たちは手助けすることができます。


 未浄化な魂の一部は特定の場所に囚われていたり、お墓に残ったままであることが殆どです。それは現地へ行って作業を行うことがベストです。未浄化な魂を時空間から解放すると共に、創造主へ返します。すると浄化されたピュアなエネルギーを創造主から直接受け取ることが出来るのです。多くの人の場合は、先祖供養をすることでこれらのプロセスを通過することが出来ます。

 自分の先祖がわからなかったり、さまざまな事情でお墓へ行くことが出来ない場合は、呼ばれる場所にて鎮魂の儀式(セルフヒーリング的なもの)を行うことで、自分のDNAと繋がっている全ての人々を行くべきところへ導くことが可能です。これは自分の前世を癒すことにも使える方法です。



 私のところでは先祖供養セッションを行っております。ご興味ある方はこちらのブログも参考になさってください。 あなたの運命をシフトさせる先祖供養セッション



 


最後に

↑広島市内を走る路面電車。広島カープ応援列車は、録音で流れる車内アナウンスは選手の方が行っておられます。カープファン、野球好きの方にはオススメ!

 私のホメオパシー健康相談を担当してくださっているホメオパスの先生をご紹介します。アニマルホメオパスの資格も持っておられますので、わんちゃん、ねこちゃんの相談も可能です。


 相談会は、スカイプと対面でされています。ご連絡の際はこのブログを見たことをお伝えくださると、先生も対応しやすいと思います。


麻野 輝恵 先生

電話番号    070-8419-3833

メールアドレス hom.mikage.kobe@gmail.com

 今回は長いブログになりましたが、私の個人的なスピリチュアルジャーニーをお伝えしました。皆様のスピリチュアルジャーニーにお役に立てれば幸いです。最後までお読みくださりありがとうございました。


↑初めての2泊3日のお留守番を終えたルイ君。ルイ君は私のところへ来る前に精神的トラウマや体調不良が長く続きました。我が家にやって来てからずっと麻野先生のホメオパシー相談会を受けています。最初は長時間家を空けることが難しかったのですが、だんだんできるようになりました。そしてついに2泊3日のお留守番達成!ここまで来れたのも麻野先生、ホメオパシー、レメディのおかげです。感謝!!

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