どんなに時代が変化しても、わたしたちは死と老いから逃れることはできません。不老不死と永遠の若さに固執しすぎることは魂を迷わせます。
有限の命であることを知り、老いを静かに受け入れること、誰にでもいつかは訪れる「死」と向き合うことを始めてみませんか?わたしたちは「死」から逃れられません。死は無になることではなく、次の世界への移行を意味するのです。
この記事では自殺や自分で自分の寿命を決めることを勧めているのではありません。寿命まで生きることで起こる「自然な死」について語っています。それは自然な過程であり、宇宙のリズムと調和して起こることなのです。
死とは無くなってしまう事ではありません。死は新しい生命への再生です。死とは魂の進化のプロセスの一端にしか過ぎません。私たちは古くなった「身体という魂の乗り物」を乗り換えることを繰り返しています。私たちは肉体ではありません。私たちは魂の存在です。
魂は死にません。魂の乗り物を乗り換え続けて、永遠に進化を続けます。それは宇宙の法則であり、大自然の法則です。現在の地球に生まれたら必ず死ぬことは、誰にも止められないことなのです。
永遠の若さへの熱望は「死への恐れ」から生まれます。それは引力の法則に逆らうようなものです。年齢を重ねるごとに、それに費やすエネルギーは益々増え続けます。しかし、誰も細胞レベルからの老化と劣化、そして死から逃れることは出来ないのです。永遠の若さに執着しすぎることは進化の本質から道を逸れてしまうことです。
わたしたちは永遠の若さに執着しすぎることにエネルギーを費やすのではなく、残された時間を自分にしかできないことにエネルギーを費やすことで、死後に永遠の生命を手に入れることができるのです。それが魂の進化です。
あなたが生きた証拠は、人生で得た叡智や生き抜く知恵を、これからの世代へと繋いでいくことにより残されるでしょう。それは人類の遺産となるでしょう。
老いと死を受け入れることとは、それと引き換えに悟りと知恵を得ることです。老いを受け入れることとは、若さへの執着を手放すことです。死を受け入れることとは、生への執着を手放すことです。
私たちは執着を手放すことで魂が身軽になり、次の旅路へと軽々と進んで行くことができます。死後の世界へはこの世での荷物を持って行くことができません。
老いと生殖能力の低下にがっかりする必要はありません。むしろ祝いましょう。それは魂の通過儀礼です。スピリチュアルな側面から観ると、老いと生殖能力の低下の本当の意味とは、エネルギー転換の時期を表しているのです。そのエネルギー転換とは、魂が体を脱出し、次の世界へと乗り物を乗り換えるために、生命エネルギーが若さを保つことや子孫を残すこと意外に使われることなのです。
更年期、閉経、生殖能力の低下はその人の身体や魂の価値が下がることではありません。形あるものはやがて姿を変えて行きます。そうやってエネルギーは永遠に循環しているのです。
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